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福岡地方裁判所 昭和52年(ワ)390号 判決

原告 綿貫正三

原告 綿貫ネキ

右原告ら訴訟代理人弁護士 井上藤市

被告 福岡県

右代表者知事 亀井光

右訴訟代理人弁護士 森竹彦

右指定代理人 西尾春一

〈ほか二名〉

主文

一  被告は原告らそれぞれに対し、各金一五二万二、三五四円およびこれに対する昭和五一年一〇月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二〇分し、その一を被告の、その余を原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は原告らそれぞれに対し、各金三、五〇〇万円およびこれに対する昭和五一年一〇月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決および担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外亡綿貫勝夫は昭和五一年一〇月一三日午後七時四〇分ころ、普通乗用自動車を運転して福岡市博多区博多駅南二丁目八の一六福岡社会館前路上を進行中、右折のため一時停止していた訴外持田恒雄の乗車する自転車に追突した(以下この事故を「先行事故」という。)。勝夫の通報により博多警察署東住吉派出所勤務の警察官訴外吉塚光、同大藪勝国の両名が右現場に赴き実況見分を実施した。実況見分中の同日午後八時三〇分ころ勝夫が計測のため巻尺の一端を持って道路中央にいたところ、折柄同道路を進行して来た訴外中村徳男の運転する普通乗用自動車(以下「事故車」という)にはねられ、頭蓋底骨折の傷害を受け同日午後九時死亡した(右勝夫の死亡事故を以下「本件事故」という)。

2  ところで、警察は個人の生命を保護することを第一義的目的とするものであるから、警察官が夜間や交通量の多い路上等危険な場所で実況見分を実施する場合には、民間人を補助者として使用すべきでないというべきであり、また実況見分の実施に際しては、関係人のためのヘルメット、懐中電燈等の装備を整え、路上には事故処理中であることを示す赤色燈を設置して通行車両を規制誘導する等安全確保の措置を講ずべき義務があるものというべきである。

しかるに、本件実況見分が行われたのは夜間の降雨中であり、かつ本件事故現場付近の道路は交通量の多いところで危険な状況であったにもかかわらず、前記警察官らは何ら安全確保の措置を講ぜず民間人である勝夫を実況見分の補助者として使用したものであるから、本件事故の発生については右警察官らに過失がある。そして、前記吉塚および大藪は被告に所属する警察官で、かつ本件事故は同警察官らの公権力の行使たる職務執行中に発生したものであるから、被告は国家賠償法一条一項により本件事故による損害を賠償すべき責任がある。

3  原告らは勝夫の両親であるが、勝夫は昭和四六年三月国立鹿児島大学医学部を卒業して同年四月医師免許を取得し、昭和四九年四月から同病院の外科医として勤務していた。原告らは勝夫が正規の医師となるまで勝夫のため多大の学資、その他の経費を負担し、また近い将来勝夫およびその妻子と同居して勝夫に原告らの老後の扶養をしてもらえるものと期待していた。右のような次第であるから、本件事故により勝夫を失った原告らの精神的苦痛は甚大であり、これに対する慰藉料相当額としては原告らそれぞれ各三、五〇〇万円を下らない。

4  よって、原告らは被告に対し、右慰藉料各三、五〇〇万円およびこれに対する本件不法行為の翌日の昭和五一年一〇月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の答弁

1  請求原因1の事実は認める。なお、先行事故は物件事故であったので、現場に赴いた警察官らは物件事故報告書作成のため計測等を行っていたものである。

2  同2の事実のうち、原告主張の警察官らが被告に所属し、かつ本件事故が同警察官らの公権力の行使たる職務執行中に発生したものであることは認める。その余は争う。今日のように自動車交通の大量化、一般化した状況下で大量に発生する交通事故のすべてについて、警察官のみによって実況見分を行うことは事実上不可能であり、正確な実況見分を行うためには事故当事者の協力を得ることが不可欠である。ことに軽微な物件事故については、交通の渋滞をさけ、かつなるべく短時間で実況見分を終えたいとの当事者の要請も強いので、事故関係者に協力してもらっているものである。

大藪巡査は勝夫に先行事故の衝突地点を指示してもらい、右指示地点に巻尺の先端を置いて巻尺を路上にたらしていると、勝夫が自発的にその先端を押えてくれたので、その協力によって最寄りの電柱までの距離を計測した。勝夫に巻尺の先端を持ってもらう必要は必ずしもなかったのであるが、右当時車両の流れが止まっており、かつ本件事故現場は交差点内で水銀燈三基により明るく照らされており、誰でも直ちに路上の人影を発見して減速ないし徐行することが期待できる状況であったので、大藪はあえて勝夫の協力を拒まなかったのである。本件事故はもっぱら中村徳夫の飲酒、前方不注視運転によって惹起されたものであり、警察官吉塚および大藪に過失はない。

3  同3の事実のうち、原告らが勝夫の両親であることは認める。慰藉料額は争う。その余の事実は知らない。

三  被告の抗弁

1  損害の填補

自動車損害賠償責任保険から原告らに対し、慰藉料として九五万五、二九三円の支払がなされた。

2  過失相殺

仮に被告に賠償責任があるとしても、一般人が警察官の職務執行に協力する場合、協力者自らにおいても危険の存否を判断した危険回避の措置をとるべきものであるところ、本件のように車道上で作業する場合にはある程度の危険を伴うことを予測し危険回避の措置をとるべきものであるにもかかわらず、勝夫はこれを怠ったものであり、本件事故の発生については勝夫にも過失があるから、相当の過失相殺がなされるべきである。

四  抗弁に対する原告らの答弁

1  抗弁1の事実は認める。

2  同2の事実は否認する。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因1の事実、同2の事実のうち吉塚光および大藪勝国が被告に所属する警察官で、かつ本件事故が同人らの公権力の行使たる職務の執行中に発生したものであること、同3の事実のうち原告らが亡綿貫勝夫の両親であることについては、当事者間に争いがない。

二  そこで、被告の賠償責任の有無につき検討する。

1  《証拠省略》によれば、本件事故発生当時の本件事故現場付近の状況は次のとおりであったことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。即ち、

本件事故発生現場は片側二車線の東西に延びる県道上で、道路の両端には歩道が、また事故車と勝夫の衝突地点の西方約七メートルの位置には横断歩道がそれぞれ設けられ、横断歩道の直近の東側には南方へ通ずる道路が、西側には北方へ通ずる道路が前記県道と交差している。そして、現場から東側約二〇〇メートル、西側約一七〇メートルは直線状態となっており、本件現場付近に信号機は設置されていない。本件現場付近の県道は、最高速度時速四〇キロメートルの指定速度が定められてはいるものの、右のような道路状況から自動車の速度の出やすい場所である。事故現場は市街地に位置し、本件事故発生前後もかなり車両の通行量が多かった(本件事故発生当夜実施された警察官の実況見分時の一分間の通行車両は約二〇台)。また、本件事故当日は午後五時過ぎから小雨が降り始め、時に雨あしが強まったりして本件事故発生当時まで降り続いたため路面は湿潤していた。本件事故発生時は夜間で暗かったが、本件事故発生現場付近には水銀街路燈三基が設置されており、本件事故発生当時も右水銀燈により本件現場付近は照明されていた。

2  《証拠省略》によれば、本件事故発生に至るまでの状況は次のとおりであったことが認められ、これに反する証拠はない。即ち、

勝夫からの先行事故が発生した旨の一一〇番通報により、博多警察署東住吉派出所の巡査部長吉塚光、巡査大藪勝国が本件現場に赴いた。先に現場に到着した吉塚は、歩道上で先行事故の被害者である訴外持田恒雄および同伊東定雄に事故発生状況を尋ねたうえ、衝突地点を確認するため携帯していた懐中電燈をつけて車の整理をしながら車道に出、右両名に衝突地点を指示させた後二人を連れて直ぐ歩道に引返し、その後吉塚は現場北側にある乳児保育園の軒下で物件事故報告書の作成を始めた。そのころ大藪も現場に到着し、吉塚から事故の概況を聞き加害車両および被害車両の損傷状況を見分した後、歩道上から持田および勝夫に衝突地点を指示させた。その際、両者の指示地点には若干相違があったので、大藪は衝突地点を確定するため通行車両が跡切れるのを待って持田を連れて車道に出て路面の状況を見分した。その後大藪は持田とともに一旦歩道に引返した後、今度は勝夫を伴って車道に出て衝突地点を指示させたところ、持田と同一の地点(道路中央線寄り)を指示するに至ったため、大藪は右衝突地点を確定するため携帯していた巻尺を使用して北側歩道上にある電柱との距離を計ろうとして巻尺の先端を勝夫らの指示した右衝突地点に置いたところ、勝夫が中腰の姿勢で北側歩道の方を向いて右巻尺の先端を押えた。大藪は当時偶々交通量が少く勝夫にそのまま手伝わせても安全と判断し、勝夫を一人車道上に残したまま歩道上の電柱の方へ行き、同地点で通行車両を確認したところ、勝夫の位置から約三五メートル西方の地点を勝夫のいる方向へ向けて時速約五〇キロメートルの速度で進行してくる自動車(訴外中村徳夫の運転する事故車)を認めたが、勝夫のいる場所は水銀街路燈の明りで照らされていたため事故車の運転者において衝突回避の措置をとるものと考え、そのまま計測をして距離を確かめ再び目を路上に転じたところ、事故車は減速もしないまま勝夫の手前五、六メートルの位置に迫っており、大藪は「危い。」と叫んで勝夫に危険を知らせたが、そのまま事故車は進行して勝夫に衝突した。

事故車を運転していた中村は、本件現場にさしかかった際歩道上にいる警察官の姿を認めて交通取締中と誤信し、当日少量の飲酒をしたうえ運転していたうしろめたさもあって、右警察官の動向に気を奪われて前方注視が不十分となり、勝夫の手前約七メートルに接近してはじめて路上にいる勝夫に気がつき本件事故を惹起したものである。

3  ところで、警察の責務は個人の生命、身体および財産の保護にあるから(警察法二条一項)、警察事務の具体的な執行者たる警察官が右職責を有するのはいうまでもなく、右目的を達するため警察官は、人の生命、身体に危険を及ぼしまたは財産に重大な損害を及ぼす虞のある危険な事態がある場合においては、関係者に必要な警告を発し、特に急を要する場合は危害防止のため通常必要と認められる措置をとることを命じ、または自らその措置をとることができるものとされているのである(警察官職務執行法四条一項)。警察官がその職務を行うにつき一般国民の協力を得ること自体は、それが協力者の任意な意思に基づくものである限り妨げられないと解せられるが、しかし、警察事務については本来警察官が直接かつ最終的な責任を負うべきものであり、かつ警察官は一般国民に対して前記のような職責を負っていることに照らして考えると、警察官がその職務の執行につき一般国民の協力を得るに際しては、協力者の生命、身体等に危害の及ばないよう配慮する義務があるものというべきである。ことに協力者が本件勝夫のように事故を発生させた当人である場合には、負い目のある者として容易に警察官に対する協力を拒否し難い心情にあることが多いのが通常と考えられるから、右のような立場にある者の協力を得るに当っては、協力者の自発的な意思に基づく場合でもその安全確保につきより慎重な配慮を要するものというべきである。

これを本件についてみるに、運転者の中には何らかの事情から前方注視を疎かにして運転している者のあることは十分予測し得るところであるから、前記1に認定の本件発生当時の本件事故現場付近の状況に照らして考えると、大藪巡査が勝夫に巻尺の一端を持たせて車道上に位置させるに当っては、通行車両に気をつけるよう勝夫に注意を促し、あるいは勝夫に懐中電燈を持たせて通行車両の運転者が勝夫の姿を発見しやすくする等して勝夫の安全をはかるべき義務があるのに、前記2に認定のとおり同巡査は通行車両の運転者において衝突回避の措置をとるものと考え右のような安全確保のための措置をとらなかったものであるから、同巡査の過失の責は免れないというべきである。そして、大藪巡査が被告に所属し、かつ本件事故が同巡査の公権力の行使たる職務の執行中に発生したものであることについては当事者間に争いがないから、被告は国家賠償法一条一項により本件事故による損害を賠償すべき責任がある。

三  そこで、原告らの慰藉料につき検討する。

1  《証拠省略》によれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。即ち、

原告ら夫婦の間には本件事故により死亡した勝夫(二男)のほか、長男靖夫、長女静子の二人の子があるが、長男靖夫は昭和四四年訴外有隅家の一人娘と結婚し事実上同家の養子同様となったため、原告らは勝夫に老後の扶養を期待していた。勝夫は昭和四六年三月国立鹿児島大学医学部を卒業して医師免許を取得し、昭和四九年四月からは福岡赤十字病院の正規の外科医として勤務するようになったが、その間原告らは勝夫のため学資その他多大の経済的出捐を余儀なくされた。勝夫は昭和四八年四月訴外真理と結婚し、同女との間に二女をもうけたが、本件事故の翌年の昭和五二年春からは、原告ら夫婦の住居を増改築して原告らは勝夫一家と同居する予定であった。なお、本件事故の損害賠償として、本件事故後勝夫の法定相続人である真理および二人の子に対して自賠責から一、四〇〇万円余の支払がなされた。また、被告は真理に対して、警察官の職務に協力した者の災害給付に関する法律に基づく遺族年金の支給をしているほか、真理およびその子らは本件被告を相手方として勝夫の死亡による損害賠償請求訴訟を提訴中である。

2  本件事故により将来性に富む勝夫を失った原告らの精神的苦痛が甚大であることは察するに難くないが、右1に判示の事情のほか本件事故の態様等を合わせ考えると、本件事故による原告らの精神的苦痛に対する慰藉料としては、原告らそれぞれに対し各二〇〇万円が相当と認められる。

3  被告は過失相殺を主張するが、前記二の2に認定の本件事故発生の状況ならびに同3に判示の警察官の責務および本件におけるその過失の態様に照らして本件事故発生についての警察官と勝夫の過失を対比すると、警察官の過失が圧倒的に大きいものというべきであるから、本件慰藉料額の算定につき勝夫の過失を斟酌することは相当でない。

そうすると、原告らが自賠責から九五万五、二九三円(一人当り四七万七、六四六円。但し円未満切捨て)の支払を受けていることについては当事者間に争いがないから、原告らそれぞれの慰藉料残額は各一五二万二、三五四円となる。

四  よって、原告らの本訴請求は、被告に対し各右慰藉料残額一五二万二、三五四円およびこれに対する本件事故発生の翌日である昭和五一年一〇月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 湯地紘一郎)

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